空中権とは何か——アメリカと日本の違い
「空中権」という言葉はニューヨークの高層ビル開発などでよく耳にしますが、日本の法制度には米国のような独立した「空中権(Air Rights)」という権利が明文で存在するわけではありません。日本で実務上「空中権」と呼ばれているのは、ある敷地に割り当てられた建築基準法上の容積率のうち、実際には使い切っていない未利用分を、別の敷地の建築計画に上乗せして活用できるようにする仕組みの通称です。
この仕組みを支えているのが、都市計画法に基づく特例容積率適用地区制度と、建築基準法86条にある連担建築物設計制度です。前者は複数の敷地をまたいで容積率を再配分できる区域をあらかじめ都市計画で指定する制度で、後者は一団の土地にある複数の建築物を一体的に設計したものとみなして容積率を通算する制度です。いずれも、低層の歴史的建造物や公共施設が周辺の高層開発に未使用容積率を融通する場面などで使われてきました。
どんな取引が行われるのか
未利用容積率を移転する取引は、一般の個人投資家が街中で気軽に売買できるものではありません。対象となるのは主に、都市計画で特例容積率適用地区が指定されている大都市中心部の限られたエリアや、大規模な市街地再開発事業の区域内です。実務上は、次のような当事者間で協議・契約が行われます。
- 未利用容積率を出す側(低層建物のオーナーや、歴史的建造物の保存を目的とする所有者)
- 未利用容積率を受け取る側(高層ビルを計画するデベロッパーなど)
- 両者を仲介・調整する自治体やまちづくり団体
個人投資家がこうした取引の当事者になる可能性は限られますが、保有する物件が特例容積率適用地区や再開発事業の区域内にある場合、将来的に自分の土地の未利用容積率が資産価値の一部として評価され得ることは知っておく価値があります。
投資家が押さえておきたい税務上の論点
未利用容積率の移転に伴って対価を受け取った場合、その対価は不動産に関する権利の譲渡による収入として、所得税法上の譲渡所得税の課税対象になり得ると整理されています。実際の課税関係は、移転される権利の性質や契約の組み方によって個別に判断されるため、具体的な取引を検討する段階では、必ず税理士や国税局の事前照会制度を通じて確認することが欠かせません。
また、容積率を出す側の土地は、将来にわたってその分の建築可能な床面積が制限される可能性があるため、売却や再開発を検討する際の資産価値評価にも影響します。逆に容積率を受け取る側は、通常より大きな建物を建築できることで収益性を高められる一方、契約内容によっては近隣との調整や都市計画上の手続きに時間を要する点に注意が必要です。
個人投資家にとっての現実的な向き合い方
多くの個人投資家にとって、空中権・容積率移転そのものを主目的とした投資機会は限定的です。むしろ実務的に重要なのは、保有物件や購入検討中の物件が、特例容積率適用地区や連担建築物設計制度の対象区域、あるいは市街地再開発事業の区域に含まれているかどうかを、物件調査の段階で確認しておくことです。区域に含まれている場合、将来の建て替えや売却における容積率の取り扱いが通常の物件と異なる可能性があるため、自治体の都市計画課への照会や、専門家によるデューデリジェンスを事前に行うことをおすすめします。
未利用容積率の移転は制度としては複雑ですが、要点は「自分の土地に割り当てられた建築可能な床面積を、契約と行政手続きを通じて他の敷地の開発に振り向ける仕組み」という一点に尽きます。都心部で高額な収益物件を検討している投資家ほど、こうした周辺制度の存在を知っておくことで、物件評価やリスク判断の幅が広がります。
混同しやすい「総合設計制度」との違い
未利用容積率の移転とセットで語られがちな制度に、建築基準法59条の2に基づく総合設計制度があります。これは、敷地内に一定の公開空地(誰でも通行・利用できる広場や歩道状の空間)を確保する代わりに、行政庁の許可によってその敷地自体の容積率や高さの制限を緩和してもらえる制度です。
特例容積率適用地区制度や連担建築物設計制度が「他の敷地の未利用容積率を借りてくる」仕組みであるのに対し、総合設計制度は「自分の敷地内で公共性のある空間を提供する代わりに、その敷地の容積率そのものを底上げしてもらう」仕組みという違いがあります。どちらも大規模な都心の再開発でよく組み合わせて使われますが、権利関係や対価の有無が異なるため、投資対象の物件がどちらの制度で容積率の上乗せを受けているのかを区別して調べておくことが、将来の建て替え計画やリスク評価の精度を高めます。
物件調査で確認しておきたいチェックポイント
保有物件・購入検討中の物件がこうした容積率関連の制度の影響を受けているかどうかは、次のような資料・窓口で確認できます。
- 自治体の都市計画課で都市計画図・地区計画の指定状況を確認する
- 建築確認台帳・建築計画概要書で過去の容積率緩和の経緯を確認する
- 登記事項証明書や公図で、複数敷地にまたがる権利設定の有無を確認する
これらの確認を怠ると、将来の建て替え時に想定していたより小さな建物しか建てられない、あるいは逆に周辺開発の影響で資産価値が上振れするといった予想外の事態につながります。高額な収益物件ほど、購入前のデューデリジェンスにこうした容積率関連の制度確認を組み込んでおくことをおすすめします。
