収益物件や賃貸不動産の経営では、建物そのものの管理だけでなく、隣地との境界をめぐる「越境」の問題が避けて通れない実務課題となります。越境とは、自分の土地や建物の一部、あるいは隣地の一部が、本来の境界線を越えて相手方の敷地に入り込んでいる状態を指します。日常の賃貸経営では見過ごされがちですが、売買や建て替えの局面で表面化しやすく、オーナーとしては早めに実態を把握しておくことが望ましいといえます。
越境とは何か
越境の典型例としては、隣地の樹木の枝や根が敷地内に伸びてきているケース、ブロック塀や擁壁が境界線をまたいで設置されているケース、建物の庇や雨樋が隣地上空にはみ出しているケース、さらには給排水管やガス管、電気の引込線が隣地の地中や空中を経由しているケースなどが挙げられます。これらは新築時から存在していることもあれば、経年による塀の傾きや樹木の成長によって後から生じることもあります。越境の多くは長年にわたって双方が黙認してきた慣習的な状態であり、直ちに違法というわけではありませんが、権利関係としては整理されていないグレーな状態が続いていると理解しておく必要があります。
越境が収益物件のオーナーにとって問題になる場面
越境が顕在化しやすいのは、主に次のような場面です。
- 物件を売却する際、買主側の調査や重要事項説明で越境の有無を指摘され、取引条件の交渉材料にされる場面
- 老朽化した建物を解体し建て替えを行う際、越境物が支障となって工事計画の見直しを迫られる場面
- 隣地所有者が代替わりや売却によって変わり、それまで黙認されていた越境について是正を求められる場面
- 越境している給排水管の破損修繕やメンテナンスのために、隣地への立ち入りが必要になる場面
特に収益物件は保有期間が長期にわたることが多く、購入時には問題化していなかった越境が、将来の売却時や建て替え時に初めて表面化するという構造的なリスクを抱えています。賃貸経営を安定させるためには、境界に関する情報を早期に整理し、記録として残しておくことが重要です。
越境覚書という実務慣行
越境が発見された場合の代表的な実務対応が、当事者間で取り交わす越境覚書です。これは、現状の越境の内容を双方が確認したうえで、将来の建て替えや大規模修繕のタイミングで越境状態を是正することを約束する書面であり、直ちに越境物を撤去することを求めるものではありません。越境覚書には、越境の対象物、越境の程度、是正の時期や条件、当事者が変わった場合の承継の扱いなどが記載されるのが一般的です。
覚書を交わすことの意義は、現状を「黙認」から「合意に基づく一時的な容認」へと位置づけ直せる点にあります。書面化しておくことで、将来所有者が変わった際にも経緯が引き継がれやすくなり、感情的な近隣トラブルに発展するリスクを抑える効果が期待できます。逆に、覚書がないまま長期間放置されると、越境の事実自体は変わらなくても、いざ問題化したときに交渉の出発点が不明確になりがちです。
購入前の重要事項説明・境界確認でのチェックポイント
収益物件を購入する段階では、境界確認の状況を丁寧に確認することが将来のトラブル予防につながります。確認しておきたい主なポイントは次のとおりです。
- 境界確定図や筆界確認書、隣地所有者の押印がある境界確認書類が存在するかどうか
- 越境の有無について、売主や仲介業者からどのような説明を受けているか、越境覚書が既に存在するか
- 塀や樹木、配管などの越境物が図面や現地測量の記録と照らして具体的にどこにあるか
- 越境覚書がある場合、是正の条件や引き継ぎに関する記載内容
重要事項説明では、境界確認の状況や越境の有無について一定の説明がなされるのが通例ですが、説明内容が現地の実態と完全に一致しているとは限りません。可能であれば購入前に現地を確認し、隣地との塀や樹木の状態、配管の位置などを目視でも点検しておくと安心です。
越境が見つかった場合の対応の流れ
保有中に越境が発覚した場合は、感情的な対立を避けつつ段階的に対応することが望ましいといえます。一般的な流れとしては、まず現況を測量や写真で客観的に記録し、次に隣地所有者へ状況を丁寧に伝えて対話の機会を持ち、必要に応じて越境覚書の締結を提案するという順序になります。話し合いで解決が難しい場合には、土地家屋調査士や弁護士など専門家に相談し、第三者を交えた調整を検討することも選択肢になります。感情的な言い分の応酬になりやすいテーマだからこそ、記録を残しながら冷静に進めることが解決への近道です。
民法の相隣関係規定との関係
越境物のうち、特に隣地の竹木の枝が境界を越えて伸びてきている場合の取り扱いについては、民法の相隣関係に関する規定が関係します。従来は、竹木の枝が越境していても所有者に切除を求めることしかできず、自ら切ることは原則できないという考え方が基本でしたが、近年の見直しにより、一定の条件のもとで越境された側が自ら枝を切除できる場面が整理されたと理解されています。根の越境については従来から自ら切除できるとされてきた点も含め、竹木にまつわる相隣関係のルールは実務上しばしば話題になる分野です。もっとも、具体的な要件や手続は個別の事情によって異なるため、実際にトラブルが生じた場合は、条文の細部や適用条件について専門家に確認しながら対応することをおすすめします。
収益物件の経営においては、建物の収益性や入居率といった数字に目が向きがちですが、境界や越境の整理は資産価値を長期的に守るための地味ながら重要な実務です。越境覚書の有無や境界確認の記録を定期的に棚卸しし、隣地との関係を良好に保っておくことが、将来の売却や建て替えを円滑に進めるための土台になります。
